(1)日本企業の石油利権獲得
日本とサウジアラビア間の経済技術協力は、アラビア石油株式会社がサウジアラビアとクウェイト間の中立地帯沖合いの石油開発利権を獲得した1957
年12月以来、開始されたと言えよう。
1957年2月、アラビア石油の創設者である山下太郎氏は当時の石橋湛山首相、
岸信介外相らの紹介状を持参して、石油利権獲得を目的に
サウジアラビアを
訪問した。サウジ政府は山下氏の一行を歓待し、親切にもてなした。このよ
うな友好な雰囲気の中で交渉が行われた結果、両者は、「正式な利権交渉を6カ
月以内に開始する」との合意に達し、日本側の一行は帰国した。
帰国後、山下氏は政財界の全面的な支援を得て、アラビア石油株式会社の発起人総会を7月9日に開催し、同社設立の段取りを整えた後、同月26日、再びサウジアラビアに向け日本を出立した。
サウジ政府の交渉相手は地質学者でもあったアブドッラー・タリーキ財政経済省石油鉱物資源局長(後の石油大臣)
で、彼はサウジアラビア・クウェイト間の中立地帯沖合いが最も有望な地域であると示唆していた。
この当時、サウジアラビアの石油利権を求めていたのは日本だけではなく、
欧米の大手石油会社も利権獲得に乗り出していたため、交渉は難航した。しかし、2カ月におよぶ長い交渉の結果、
サウジ政府は山下太郎氏との契約の大綱を10月に承認し、12月10日に双方は石油利権協定に正式に調印した。
1958年2月、アラビア石油株式会社が設立され、石坂泰三氏が会長に、山下太郎氏が社長にそれぞれ就任した。同社は引き続きクウェイト政府との利権交渉に着手し、紆余曲折の末、同年7月にクウェイト政府と利権協定を締結した。こうして日本で初の海外における石油開発事業が始まったのである。
1959年7月、中立地帯沖合いの海上で、試掘井第1号の掘削が開始され、翌
1960年1月に同井は油脈に到達、出油に成功した。この油田は、後に石油操業の恒久基地となった地、カフジの名をとって、「カフジ油田」と命名されたが、そ
の後の調査で同油田は莫大な埋蔵量を持つ、世界でも有数の一級油田であるこ
とが判明した。
1 本目の井戸で石油を掘り当てるという、幸運なスタートを切ったアラビア石油はその後、40年間にわたり安定した石油操業を継続したが、2000年2月にサウジアラビア政府との利権協定は終了した。現在、同社はクウェイト政府との新しい契約に基づき、カフジにおいて引き続き石油操業に参画している。アラビア石油の事業成功は、日本と
サウジアラビア両国の友好促進ならびに経済
技術協力関係発展の礎となり、爾来、同社は両国間の架け橋として多方面における日・サ両国関係強化に多大な貢献を果たしてきている。
(2)日本・
サウジアラビア経済技術協力協定の締結
アラビア石油を中心として始まった民間ベースの経済交流とともに国家間レベルの経済技術協力関係の確立の必要性が認識され、1960年10月に来日したサ
ウディアラビア政府交通大臣スルターン・ビン・アブドルアジーズ殿下(現第二副首相兼国防・航空大臣)により日本側との公的な折衝が開始された。同殿下は小坂外相との会談において
サウジアラビアの4事業プロジェクト(電話網、
天然ガス利用、鉄鋼開発、漁業)への日本の協力を要請した。日本政府はこれらプロジェクトの調査のため、同国へ専門家チームを派遣するなど、積極的な姿勢で応じたが、残念ながらどのプロジェクトも実現に至らなかった。
1971年1月、海外技術協力事業団の中山素平会長を団長とする大規模なアラビア湾岸経済使節団が
サウジアラビアをはじめとする湾岸6カ国を訪問し、日本
とサウジアラビア両国間の経済協力の必要性が再認識された。同年5月、サウ
ディアラビアのファイサル国王がアラブ諸国からの最初の国賓として日本を訪問
し、天皇陛下をはじめ日本政府首脳との会談の席上、日・サ経済技術協力協定の早期締結を要望した。これに応え日本政府は協定案をまとめ
サウジ政府に提示
し、その後、同協定の締結に向けた閣僚・事務レベルの折衝が続けられた。

こうして、1975年3月1日、日本においてナーゼル国務大臣兼企画庁長官と宮沢外務大臣との間で、「経済及び技術協力に関する日本国政府と
サウジアラビア王国政府との間の協定」が正式に締結され、協定実施に関する公文も取り交わされた。同年5月、
サウジアラビア政府から日本政府に対し、
サウジ国内の承認手続きが完了した旨通告があり、同協定は正式に発効した。協定の要旨
は次の通りである。
@両国政府は両国間の経済・技術協力の促進に努力する(第1条)。
A両国政府は、工業、石油、石油化学などの経済開発分野における合弁事業な
どの設立により、これらの分野で協力を行う(第2条1項)。
Bサウジアラビア政府は日本から派遣される専門家およびその家族に対し、
免税およびその他便宜供与を行う(第3条)。
Cサウジアラビア政府は同王国における日本の資本投下を奨励する(第5条)。
D協定の効果的な実施を目的として、開発事業計画および措置について協議・合意する為の、両国政府代表で構成される「合同委員会」を設置する(第6条)。
(3)日本・サウジアラビア合同委員会
上述の経済技術協力協定第6条に基づき、第1回日本・
サウジアラビア合同
委員会が1976年1月にリヤードで開催された。日本側からは河本通産大臣、駐サ
ウディアラビア鈴木日本国大使、
サウジ政府からはナーゼル企画大臣、ゴセ
イビー工業大臣らが出席し、具体的なプロジェクトの推進や日本からの専門家
派遣問題などについて意見交換が行われた。その後、合同委員会は定期的に開
催されており、第2回は1978年4月(東京)、第3回は1981年6月(リヤード)、第4
回は1983年4月(東京)、第5回は1986年4月(リヤード)、第6回は1992年5月(東
京)、第7回は1997年12月(リヤード)、そして第8回が2002年6月に東京で開かれた。エネルギー、経済、貿易、技術協力、文化など幅広い分野における両国関
係強化について討議が継続されており、具体的な合弁プロジェクトの実現など、
目に見える成果が報告されている。現在、日本側は外務大臣と経済産業大臣が、
また、サウジ側は経済・企画大臣が各々の政府の代表を務め、会議に出席している。
(4)国際協力事業団・リヤード事務所設立
事務所の 両国間の経済技術協力協定の締結により、日本の
サウジアラビアへの技術協力が本格的に開始されることとなった。日本政府は、具体的な協力に関する
サウジアラビア政府との交渉や日本人専門家のサウジ派遣、サウジ人研修員の日本受け入れ準備などを円滑かつ効率的に実施するため、技術協力に関
する日本側の担当機関である国際協力事業団(JICA;2003年10月1日から国際協力機構に移行)の現地事務所を設置することを決定し、1976年10月、JICAリ
ヤード事務所を開設した。2002年末現在のJICAによる
サウジ派遣日本人専門家数の累計は740人(2002年度19人)、日本受け入れ
サウジ人研修員数の累計
は1,608人(同740人)を数えている。なお、同事務所の名称は1986年に、「JICA
サウジアラビア事務所」と改称され、現在に至っている。
(5)リヤード電子技術学院の開校
1974年6月に締結された「高等教育技術協力協定」に基づき、多くの日本人専門家がJICAから
サウジアラビアに派遣され、「リヤード電子技術学院」の設立
準備に携わってきた。
日本政府の全面的な支援を受けた「リヤード電子技術学院」はリヤード北部のサラーハ・ディーン地区に建設され、1993年9月に開校した。同学院は、研究
室、実習室、図書館、体育館、プール、食堂をはじめ、学生・教職員用宿舎や
浄水施設までも備えた学園都市となっている。
同学院は教育分野における日本の協力のシンボルとして日・サ両国関係の促進に大きな貢献を果たしてきており、1994年に
サウジアラビアを訪問された皇太子徳仁殿下・雅子妃殿下ご夫妻もここを視察されている。
その後、同学院は1996年から「リヤード技術短期大学」に昇格し、日本の協力はカリキュラム策定や教材作成面で、2001年3月まで続いた。
また、1997年10月に、「電子技術教育開発センター」設立の構想が新たに浮上し、日本人教育専門家がアドバイザーとして派遣された。このセンターは、サウジアラビアの工業高校教員の電子技術の質の向上を目的としており、設立
実現に向けた日本の協力が現在も継続して行われている。
(6)日本・サウジアラビアビジネスカウンシル
上述の政府間ベースの合同委員会とは別に、民間レベルでの経済協力の強化・促進を目的として、「日本・
サウジアラビア民間合同委員会」が1987年に設置された。
同委員会は、「(財)中東協力センター」と「
サウジアラビア商工会議所連盟」が
事務局となり、1987年に第1回会議を東京で開催し、それ以降両国間で毎年交互に会
議を開いてきた。第11回合同委員会での席上、サウジ側から当該合同委員会を「日本・
サウジアラビアビジネスカウンシル」へ昇格する案が提起され、その後、
双方で協議を重ねた結果、サウジ側の提案通り、当該合同委員会をビジネスカウ
ンシルへ改組することが合意され、1999年11月28日、リヤードにおいて双方の代表
者が本件に関する覚書に調印し、同カウンシルは正式に発足した。
2003年1月15日、東京において第4回日本・
サウジアラビアビジネスカウンシル
合同委員会が開催された。前身の日本・サウジアラビア民間合同委員会から数えて通算15回目となったこの会議には、日本側と
サウジ側の双方から、政府関係者
をはじめ経済界要人や企業の代表者など、それぞれ90名以上が出席し、これまでの日本開催会議では過去最大の規模となった。日本側の斉藤共同議長と
サウジ側の
ジュレイシー共同議長の下で開催されたこの会議は、開会式、第1セッション(一般
経済・貿易)、第2セッション(合弁・投資)、第3セッション(日本企業のビジネス
モデルの紹介)と続き、最後に両共同議長によるコミュニケの署名が行われ、閉会
した。両国の経済・貿易動向に関する講演、対サウジアラビア合弁・投資事業の状況報告、サウジアラビア国内の投資環境の説明がなされたほか、出席者からも
具体的な要望事項や提案が出されるなど、真剣かつ建設的な討議が行われた。
(7)21世紀に向けた包括的パートナーシップ
1997年11月、橋本首相は日・サ関係の促進のため、サウジアラビアを訪問し、
ファハド国王、アブドッラー皇太子をはじめ、サウジ政府要人と会談を行った。
国王との会談において橋本首相は、従来の政治、経済分野に、「新分野」を加えた3本の柱からなる多角的な二国間関係の構築を目指す、「21世紀に向けた包括的
パートナーシップ」構想を提案し、ファハド国王もこれに全面的な賛意を表明し
た。そして、このパートナーシップを実現するための協力を、「日本・サウジ
アラビア協力アジェンダ」と名づけて、その検討作業を推進していくこととなった。
協力の拡充分野として、「人造り(教育・職業訓練)」、「環境」、「医療・科学技術」、「文化・スポーツ」そして「投資・合弁」の5分野が決定され、両国の事務当局間でその報告書の作成作業が開始された。こうして両国首脳に提出する報告書、「日本・
サウジアラビア協力アジェンダ報告書」が次官レベルで最終的に
取り纏められたのである。同報告書には、人造りのための
サウジ人研修員の日本受け入れの拡大や電子技術分野における日本人専門家チームの
サウジ派遣、サウジ青年の日本招聘、また、海洋環境汚染対策のためのアラビア湾環境モニタリング、医療・科学技術分野の
サウジ人研修員の受け入れ、定期的文化協議の実施、日本語教育専門家派遣など、多岐にわたる協力項目が盛り込まれている。
(8)日本・サウジアラビア協力アジェンダ報告書など各種協力文書に調印
1998年10月、アブドッラー皇太子が来日した際、「日本・
サウジアラビア協力アジェンダ報告書」、「自動車技術訓練所に関する日本・
サウジアラビア協力」、「日本国政府および
サウジアラビア王国政府間青年・スポーツ・文化分野
における協力」の各文書が、サウジアラビア政府のサウード外務大臣、ヤマーニー工業・電力大臣、アッタール企画大臣、そして日本政府の高村外務大臣、与謝野通商産業大臣によって署名された。この署名により、「21世紀に向けた包括的パートナーシップ」の構築が具体的に始まり、これ以降、両国間の協力関係は
着実な進展を見せ、ますます深まっている。
(9)自動車技術者研修所の設立
上記の「自動車技術訓練所に関する日本・サウジアラビア協力」に基づき、「自動車技術者研修所」がジェッダに建設され、2003年3月19日に、アブドッラー皇太子の臨席の下、開所式典が盛大に執り行われた。この研修所は、日本側
がJICAと日本自動車工業会、サウジ側が技術教育・職業訓練庁と日本車販売店協会が主体となって実施した官民合同プロジェクトであり、若年層の雇用創
出と技術教育を目的としている。現在、200名の研修生が日本人専門家の指導を
受け、自動車整備技術などを学んでいる。研修期間は2年間の予定である。
(10)日本貿易振興会・リヤード事務所の開設
1994年10月、リヤードに日本貿易振興会(2003年10月1日から日本貿易振興機構に移行)の事務所が開設された。開所式には
サウジ政府からアブドッラハマーン・ザーミル商業次官、日本側から丹波駐
サウジアラビア大使、豊島日本貿易
振興会会長、小島中東協力センター専務理事など多数の関係者が出席した。
同事務所は、サウジアラビアを中心とした中東産油国における日本企業の投
資奨励と投資機会の紹介、投資環境に関する情報の提供など、幅広い業務を行っている。
(11)
サウジアラビア投資促進機構設立
日本の経済 日本の経済・技術力を高く評価しているサウデイアラビア政府は、政府レベルの合同委員会の席上などあらゆる機会を捉え日本に対し、同国への投資を要請している。この要望に応えるため、
サウジアラビアへの投資促進と拡大を目的とした「
サウジアラビア投資促進機構(OPJI)」が日本の主要民間企業・
団体によって1995年5月に設立され、中東協力センター内にその事務局が設置さ
れた。同機構は、有望な投資案件の発掘と評価、その紹介と実現に向けた必要資金と税制面の調査、既存および新規合弁事業の円滑な遂行のための側面的協力など、対サ投資の拡大に向けた活動を実施している。
(12)日本・サウジアラビア間の貿易
サウジアラビアにとって日本は輸出入ともに常に第1位か2位を占める重要な貿易相手国となっている。同国は日本から輸送機械(乗用自動車、トラック)をはじめ一般機械、金属、化学品、電化製品、鉄鋼などを輸入し、原油、石油
製品、LPGを主に日本に輸出している。
2003年の
サウジアラビアの対日貿易額は、輸出額約493億2,500サウジ・リヤール、輸入額は約143億1,900万
サウジ・リヤールで、日本は輸出入ともに、アメリカに次いで第2位であった。また、貿易収支は輸出過剰で、2003年度は350億600万
サウジ・リヤールに達した。同年、日本が
サウジアラビアから輸入した原油量は100.3万バーレル/日で日本の原油総輸入量の24.7%、石油製品量は5.8万バーレル/日で総
輸入量の8.9%、LPGは年間464万トンで総輸入量の33.7%を占めた。
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