文化・教育・スポーツ交流


 

 

                        

愛知万博・サウジアラビア館
 

 

愛知万博 サウジアラビア館特別ホームページ
www.expo2005saudipavilion.com


サウジアラビア王国のフレンドシップパートナー
豊根村・サウディアラビア王国交流促進委員会ホームページ
http://www.vill.toyone.aichi.jp/toyone-saudi/index.htm

 

 

 

文化交

@      サウジアラビア政府、大阪万国博覧会に参

19703月から9月までの半年間にわたり、万国博覧会が大阪で開催された サウジアラビア政府はモスクを模したパビリオンを建設、クルアーンやラブ・イスラーム情緒に溢れる民芸品などを展示し。同年6月には万博サウアラビア・デーが会場で開催さ、アービド・シェイク商工大臣が出席した。 万国博開催期間中、多くの入場者が同パビリオンを訪、アラブの世界をほんど知らなかった当時の日本人に サウジアラビア王国の存在を印象付けた。

 

 

 

A湾岸協力会議(GCC)青年文化フェスティバ

1985919日から1週間、東京において「GCC青年文化フェスティバ開催され、GCC加盟6カ国から約400名の青少年が来日した。このフェスティルはアラブ文化を外国に紹介する活動の一環としてGCCが企画したもので、 統的民族舞踊・民謡の上、絵画・民族衣装・美術工芸品・刀剣などの展示 などが行われた。サウジアラビアからはファイサル・ビン・ファハド青年 祉庁長官を団長とする一行が来日し、同フェスティバルに参加した

 

Bサウジアラビア絵画・写真

 19971月に荻谷篤思氏の写真展「 サウジアラビア、自然・歴史そし 人々」が東京渋谷のドイ・フォト・プラザに、そして、「宙− サウジアラ ア」と題した木村光宏画伯の絵画展19993月に東京、大阪、京都の高島屋術画廊にてそれぞれ開催され。木村画伯は同年11月の日展においてもサウアラビアをモチーフにした「青い空」と題した作品を出品している。また 同じ11月に東京銀座の文藝春秋ギャラリーで開かれた中村百合子画伯「地 大好き」と題した個展において、同画伯の作品「アシールの風景」が展示れた

 

Cサウジ民族舞踊団、日本で初公

19989月、 サウジアラビア文化の一つである民族舞踊を紹介する目的で、 政府から同国の民族舞踊団が日本に派遣され。舞踊団は在日 サウジアラア 大使館主催の第66回建国記念祝賀レセプションにて サウジ民族舞踊 披露するとともに、三越日本橋本店屋上ステージにおいても一般公演した。

 

D王立民族舞踊団の来

20026月、日本で開催された2002FIFAワールドカップに出場したサウ・ナショナルチームを応援するた、総勢18名からなる「 サウジアラビ 王立民族舞踊団」が来日し、新宿や渋谷などの都内各地をはじ、サウジ チームのキャンプ地となった調布市や府中の東京競馬、横浜、埼玉など14 所で民族舞踊を実演した

 

 

 

 

E日本文化紹介の展示 国際交流基金や在サウジアラビア日本国大使館の文化事業とし、日本築展(1988、日本文化展(1990、現代写真展「日本1993、現代本ポスター展(1993、版画展(1995、和太鼓公演(1995、生け花1996年)など、各種の日本文化紹介展示会が サウジアラビア国内において催されている

 

 

 

 
教育交

 

@日本・サウジアラビア間の留学
 
日本からは、1976年に6名の日本人学生がリヤードのキング・サウード大学サウジアラビア政府の官費留学をし。その後、同政府の留学制度によディーナのイスラーム大、マッカのウンム・アルクラー大、リヤードのマーム・ムハンマド・ビン・サウード大学にも日本人学生が留学、イスラムとアラビア語を学んでいる

一方、サウジアラビアから、アラビア石油の奨学制度に基づ1973から、同社の対 サウジアラビア石油利権協定が失効し20002月以前まで 累計で149名の サウジ人学生が日本の大学に留学していた。また、サウジラムコも日本留学制度1997年度から導入し、毎年数名の学生を日本に送っいる。このほかに、日本政府の奨学制度もあ、これを利用した サウジ人生が毎年23名、日本に留学している

 

Aキング・サウード大学に日本語学科開

  キング・サウード大学の言語・翻訳研究1994年に学部に昇格)内に日語学科を開設するため1993年から日本人教員1名が国際交流基金から派遣され1994年度から言語・翻訳学部アジア語科に日本語コースが開講し。毎年約10 名の学生が本コースで日本語を勉強している。

 

 

Bアラ イスラーム学院東京分

1980年、 サウジアラビア政府は日本におけるアラビ語の普及を目的として、イマーム・ムハンマド・ビン・サウード・イスラー大学の分校「アラ イスラーム学院」を東京都内に開設した。同大学から数の教師が日本に派遣さ、分校の業務が開始された、その後、同校は旧サジアラビア大使館内に移された

    

1996年末、大使館建物の老朽化により同校が閉鎖されたた、 サウジアビア政府は新たな東京分校の建設を決定19972月から東京都港区元麻布閑静な一画において校舎ビルの新築工事を開始した。

校舎ビルは2001年に完成し、同年57日、新アラ イスラーム学院の開校が両国の関係者約150人の出席の下、盛大に開催された。この東京分校はアメカ、インドネシアなどに続く、世界で6番目のイマーム大学分校である

同校は現在、アラビア語講座の開講、講演やセミナーの開催な、アラブイスラームの理解に資する事業活動を展開している。

 

 

 
スポーツ交


@柔道の普

1961年、日本講道館から女川6段、そして翌1962年には平沼5段がサウジラビアの財閥アリー・レザー一族が経営す「フィラーハ学園」にそれぞれ遣され、同学園において柔道の指南にあた、成功を収めた。その後、仕事同国に赴任した日本人有段者たちの指導などにより柔道は サウジ国内に徐に普及していった

1986年から約8年間、講道館6段の鳥海又五郎氏が柔道指南のためリヤードに在し、 サウジ国内各地で多くのサウジ人若者に柔道を基本から教え。最4年間は青年福祉庁との契約に基づくものであ、後半の4年間は日本政府の際交流基金からの派遣によるものであっ。同氏をはじめ他の日本人ボランテア指導者たちの努力の結、今や柔道は サウジ国軍と警察の正課として取りれられるほどになるまで、 サウジアラビア社会に深く浸透してい

 

A日本から派遣のスポーツ使節

198611月、 サウジアラビアをはじめとするGCC諸国に次のグループか構成された日本青年団が訪問した;国会議員9、サッカー(21レーボール(12、空手(9、柔道(5、熊本県グループ(14国においてデモンストレーション、親善試合などが行われた

19932月、柔道、空手、剣道、合気道の専門家総勢32名から構成された日伝統スポーツ・ミッションが サウジアラビアを含む中5カ国を訪問し、モンストレーションと技術指導を行った

199411月、国際交流基金から空手指導専門員が派遣され、 サウジ国内空手チームを2カ月間指導した

19973月、日本柔道連盟の柔道ミッションがリヤードを訪問、模範演技披露した

 

B サウジアラビア・スポーツ団の来

   199210月、広島で開催されたサッカー・アジアカップ選手権大会にサウ・ナショナルチームが、スルターン・ビン・ファハド青年福祉庁副長官 団長として参加し、準優勝の好成績を収めた

 

   12回アジア大会が1994102日から16日までの15日間にわたり広島で開され、アジア42の国・地域から来日した約5,000名の選手が34競技、337種目力と技を競った。アジア大会出場5回目となる サウジアラビアからは役員58名、選手116名が参加した。選手団は、空手で銀(65kg級)と銅(80kg超級テコンドーで(フライ級フェザー級射撃で(クレー・スキート個人陸上で銀(3,000メートル障害、銅(1万メートル、ボクシングで銀(ヘビ、銅(ライト級のメダルをそれぞれ獲得した。大会を成功に導くため 広島市内にある63の公民館が、参加国・地域を一つ受け持ち、応援に当た「一館一国・地域応援」活動を行った。 サウジアラビアを担当したのは広 市安芸区の中野公民館で、サウジ選手を応援したばかりでなく、選手団 住民との交歓の場を設けるなど市民レベルでの交流活動も活発に行った。同公民館では、このとき築かれた サウジアラビアとの友好関係を継続するめ、館内に常設スペースを設け、同国の国旗、 サウジ選手団代表から贈れた記念の盾やメダル、民族衣装、ポスター、写真、関係書籍類などを展している。この日本初の民間レベルでの サウジアラビア資料常設展示室 青年福祉庁からも高い評価を受けている

 

199511月、 サウジ青年卓球チーム、19973月、 サウジ柔道チーム

199712月には サウジ空手チームが相次いで来日し、日本チームと親善合を行っている

 

20026月、日本で開催された「2002FIFAワールドカップ」に、青年福庁副長官で サウジ・サッカー協会の副会長でもあるナッワーフ・ビン・ ァイサル・ビン・ファハド殿下を団長とするサウジ・ナショナルチーム出場した。残念ながら サウジ・チームは予選で敗退した、同チームがャンプ地とした調布市の住民多数が試合会場に足を運、 サウジ国旗を手に熱い声援を送った。調布市主催の歓迎レセプションや子供たちとの交など、様々な機会を通じ、 サウジ選手団と調布市民との友好の輪が広がり、日・サ両国間の草の根レベルでの相互理解が促進されたこと、ワールドップがもたらした大きな成果であった

  

 

 

C 競 

1999年、日本と サウジアラビアの長年にわたる友好関係を記念して、サウジアラビアのアブドッラー皇太子から日本中央競馬会に「 サウジアラビア・ロイヤルカップ」が寄贈され、同年612日に東京競馬場において日本初となる サウジ・ ロイヤルカップレースが行われた。その後、毎年同レースは開催されており、その優勝馬に与えられるアブドッラー皇太子寄贈の優勝カップは、新たなデザインのものが毎年 サウジ本国から担当責任者によって日本に持参されている。レースに先立って両国の国歌が演奏される中、両国国旗が掲揚されるが、この光景は両国間の友好親善の絆の深さを両国民の心に刻み込んでいる。

 

一方、日本中央競馬会もサウジアラビアにおいてジャパン・カップレー(日本・ サウジアラビア友好記念)を毎年開催することを決定20021回ジャパン・カップレースが首都リヤードの競馬場にて行われ。この相競馬レースは両国間のスポーツ交流の歴史に新た1ページを書き加えた

 

 

 

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